高知地方裁判所 昭和44年(ワ)374号 判決
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〔判決理由〕休業損害について、
まず原告の傷害後遺の程度等につき審究するに、<証拠>を総合すれば、原告は、事故後直ちに吹田市の富沢病院に入院し、頭部裂傷、脳震盪症、左手背擦過傷、右大腿部打撲擦過傷の診断により一〇日間の入院治療を受け、次いで、昭和四二年一一月一八日から、大阪府済生会吹田病院に入院し、後頭部挫創、頭部外傷型、顔面、右下肢挫傷の診断により治療をうけ、同時に頸椎症状改善のための加療を継続しているが、昭和四二年一一月二三日のレントゲン所見では、頸椎第四、第五に前屈時前方辷りと角状屈曲を呈し、昭和四三年一月一九日においても右前方辷りと屈曲のほか、中間位でも右第四、第五間のカーブに屈曲が認められ、吹田病院へ入院中の同年一月二六日北野病院において頸部捻挫の傷病名により診断を受けている、そして右吹田病院における病状の経過としては、頭部、右下肢打撲痛、不眠、視力障害、難聴を、また、耳鼻科的には耳鳴、難聴を訴えているが、神経科ではこれらは外傷後遺症と神経症的要素が加味されたものであるとされていたところ、原告は、その後ひきつづき昭和四三年四月一二日まで同病院に入院を継続し、頸部捻挫による治療をうけたが、当時、原告の訴える頭痛運動障害は頸部の軟部組織が瘢痕治癒したためと考えられていたこと、原告は、その後、同月一六、一七日両日には、高知中央病院において診断をうけ、頭部痛、足腰のしびれ感等を訴え、頭部外傷後遺症の病名を付されてはいるが、神経科では原告が神経質であるという以外病的なものはないとされ、エックス線検査でも頸椎に異常はなく、頸部の運動制限が中程度認められるほか握力・腱反射等はほぼ正常であるとの結果が出ており、ひきつづき、同月二二日から同年七月三一日まで、高知田中整形外科において頸部捻挫による通院治療を受けたものの、なお、眼が痛む、耳鳴り、項部の倦怠感、肩こり等を訴え、労災補償八級に該当するとの診断を受けていること、その後、さらに同年七月三一日から同年一〇月二日まで前記吹田病院において通院のうえ治療をうけ、昭和四三年一〇月一四日付同病院の診断書によつても、右三又神経支配領域に自発痛を、頸椎過伸展および、側屈時椎痛を訴え、右背部、右肩部に圧痛、のほか難聴が認められ、耳鳴り、肩こりを訴えているなどの点を考慮し、労災補償八級に該当するとの診断をうけているが、同年八月七日のレントゲン検査によれば角形成や椎体のずれもなくなり頸椎の異常可動性による症状は殆んどとれていたと考えられ、医師においても、原告がノイローゼになり易いタイプでもあり、軽労働に従事して事故にあつたとの固定観念から開放された方がよいとの考慮から、原告に対し、就労を示唆しており、同年九月二六日付診断書にも、頸部捻挫につき昭和四三年八月一日から三一日間要安静加療後九月一日から軽労働可能と診断されていること、そして鑑定の結果によれば、鑑定のための被検時(昭和四五年九月八日)において、原告は、頸がこり痛む、耳鳴りがあり物が二重うつしに見える等の症状を訴えているのであるが、鑑定人のその総合的所見としては、レントゲン検査上頸椎の異常はなくなつていると思われるが、受傷初期のレントゲン所見で異常所見がみられていることから、頸椎および頸椎周囲組織に外傷があつたことは明らかであり、いわゆる鞭打ち損傷として、不定愁訴型、バレー型等とみられる症状が明らかに残つていること、また、不定愁訴が多くその程度にも動揺があること、ならびに、経過中神経症的との意見がみられること等から、神経症的要素の存在も考えざるをえないとしながらも、結論的には不定愁訴を頑固な神経症状としてみることは怖れがあり頸椎運動障害を含めて総合的に判断し、全体的な労働能力喪失の観点よりすれば、後遺症等級は七級又は九級であるが、神経症的要素と思われるものがその原因過程に比重が大であり、かつ、心療内科的治療が困難なものであれば七級となる意味である、もつとも現段階で判定できないとされていること、および、証人佐々田武の証言によれば、原告の症状は仮病ということはないが外傷性神経症のようになつており、精神的なものが多いので、本来の頸椎捻挫のための血行障害が、どの程度まで主体性を占めているかわからないとしていること、以上の事実がそれぞれ認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。そして、以上の事実に照らせば、原告が本件事故により、頭部裂傷等のほかいわゆる鞭打ち損傷(頸椎捻挫)の傷害を受けたことは明らかであり、昭和四三年八月頃には右外傷は治癒しているが、原告が受傷後の昭和四五年九月八日時において呈する諸症状は、本件事故がなければ右損傷による後遺症としての右症状がなかつたということができるけれども、他方、<証拠>によれば、原告は事故当時朝日運送株式会社において事務系の仕事をしていたこと、医師から軽労働(事務系)をすすめられ、昭和四三年九月上旬に数日出勤したものの、その後欠勤、ついで休職するに至り、現に家にあつて留守番をするほかは無為でいること、原告は、同年一〇月中旬頃、被告会社員である久米に対し、働かなくても事故の慰藉料等で生活していけると話していたことがそれぞれ認められ、これに前示事故の態様、後に認定する示談交渉の経過、および、右に認定した原告の入通院治療の経過等を総合すると、必ずしもその時期を確定することができないけれども、昭和四三年九月一日頃以後の原告の諸症状は、本人の性格等の素因に根ざす賠償への心的傾斜に基づく神経症に転化しつつあつたと解するのが相当であり、結局、原告の本件事故による休業損害については、原告の傷害の程度、右のような後遺症の内容等に照らし、本件事故発生から一年の限度で事故との相当因果関係を肯定すべきであるが、その後の損害については右関係が必ずしも明らかでないというべきである(いわゆるむち打ち後遺症としての神経症については、確かに、被害者のかかる精神状態自体も事故の結果現出される事例が多いとみられるけれども、事故後における加害者の賠償への誠意等を斟酌し、主としての被害者の性格等主体的態度にかかわる事情が関与し、その神経症状を呈せしめているとの相当程度の疑いが存在する場合にまで、その損害のすべてを加害者に負担させるのは公平を失する結果となるから、かかる場合には一定の限度で事故への相当因果関係を否定するのが妥当であると考える)。(稲垣喬)